獅子奮迅に舞う荒川獅子舞 in 伊曾乃神社
もっさん 2024年1月10日
2024年1月3日は曇り空から時折陽光射す午前10時頃、西条市中野の伊曽乃神社にて、加茂公民館が中心となって結成された「獅子舞保存会」による西条市荒川地区の獅子舞奉納に行ってきました。
〇荒川の獅子舞の所縁
西条市荒川2号(下分・東宮・河ヶ平上)の氏子でまつる、八幡神社の秋季例大祭に神輿のお供をして、御旅所での神事の後に悪魔払いをつとめて舞う獅子舞です。
明治34年、神輿を新造する際に獅子頭を購入し、獅子舞を始めました。舞い方は黒瀬村の村民2名から伝授され、当時の若者衆は誰もが獅子頭の使い手であり囃子手でもありました。獅子舞を始めた当初は、子どもも沢山居て、“なぶりこ(太鼓を叩く囃子手)”は、8歳を迎えると習うことができました。
昭和48年頃、獅子舞の後継者の存続が危ぶまれましたが、前出の「獅子舞保存会」を加茂公民館が中心となって結成し、後継者の育成を行いました。
時は進み、平成30年には氏子の中に”なぶりこ”の演じる後継者が居なくなり、最大の危機を迎える事態となってしまいました。しかし、縁あって地域外の子供たちの協力を得られるようになり、危機を乗り越え現在に至ります。
(加茂の荒獅子-荒川の獅子舞より抜粋)
先ずは、「獅子舞保存会」の伊曽乃神社にて神事の様子を写真で紹介します。
荒川の獅子舞の特徴は、わずか3分半の間に、獅子は荒れ狂ったり驚いたりと、さまざまな表情を魅せながら激しく舞います。”なぶりこ”が獰猛な獅子(世の中を蔓延る災い)を退治する様子を、世の中に蔓延る災いを取り払う、縁起のいい獅子舞を表現しています。
また、獅子舞を始める前には、おもしろおかしい口上が言います。
●荒川の獅子舞口上文
①トオザーイ、トオザイ、当村氏神祭礼につき、神つつしめがため、不調法なるこの獅子、一曲あいつとめまするの段。
②そもそもこの獅子の謂われは、むかし天神地神五代七代、その時、高天原にて神楽の舞、荒々しきうや舞って申す。
③さて、この獅子の使い手は、学校行きの鼻たれ坊主や腕白坊主の寄り集まりで。じいさん、ばあさん、ねえさんの目にはとどりますまいけれども、あれがあれだけ、これ
はこれだけ、みそぎざいも四十、はつ鷹のうちかや、こうもりも鳥のうちかや、枯れ木も山の賑わいかや、しょうたれおなごも茶釜の賑わいかや、この獅子も祭典の賑わいかやと、ご覧にいれまして、悪魔を払うこの獅子、しばらくの間、荒々しくうや舞って申す。
④⾧口上は時間の妨げ、さよう早速のはじまり。
地方祭での獅子舞は、八幡神社及び各御旅所で初めて舞う時の口上は、「①→②→④」の順、2回目以降は、「①→③→④」の順に言います。
また、イベントなどで舞う時には、「①→②→③→④」の順に言う場合があります。
荒川の獅子舞は、獅子頭の使い手(1人)、獅子の仰ぎ手(1人)、なぶりこ(1人)、締太鼓(1人)、鉦(1人)の合計5人で舞います。締太鼓と鉦で拍子をとり、それに合わせて”なぶりこ”が太鼓を叩きます。
獅子と”なぶりこ”の駆け引きがおもしろく、獅子が襲い掛かると”なぶりこ”は、太鼓のバチで受け止めたり、獅子を払ったり、かわしたりしながら獅子を疲れさせます。そして、とうとう獅子は”なぶりこ”に降参してしまいます。
では、荒川の獅子舞奉納の様子を写真で紹介します。
“なぶりこ”一人による獅子舞奉納後には、“なぶりこ”が2人になって、2体の獅子を退治する様子が演じられました。その様子を写真で紹介します。
獅子舞奉納が終わり、伊曽乃神社に参拝に来た方や獅子舞の観覧していた方などに、獅子が頭を噛んでいく様子を紹介します。
最後に、獅子舞の格好をして舞う目的は、悪魔祓い、疫病退治、豊作祈願などです。獅子は人にとりついた邪気を食べる性質があると言われているため、頭に嚙みついてくることがあります。これは、獅子に噛まれると邪気が取り除かれるので、病気などの災難から守られることになると言われています。
荒川の獅子舞は毎年1月3日に、伊曽乃神社に奉納されているようです。また、西条市荒川地区の八幡神社の秋季例大祭は、毎年11月3日(文化の日)に行われているそうです。
もし機会が合いましたら、実際にその獅子舞の激しい舞いを、見てはいかがでしょうか?
西条市荒川地区(八幡神社)
住所:西条市荒川