桃のお節句と屋台 〜弁財天社厳島神社さん遷座祭〜
オニギリ 2024年3月12日
『性別や年代を超えて親しまれる西条まつり』
1.お節句に込められた願いと屋台
1月1日のお正月、3月3日のひな祭り、5月5日のこどもの日、7月7日の七夕と、お節句の日は、縁起の良い同じ数字が重なる日だと、この記事を書きながらはじめてはっとする。
「神事のみならず、日頃の雑事を離れ、人と人とが絆を深める貴重な機会」。お節句についての説明文が、西条まつりとぴったり重なる。
2.老若男女が集う屋台
3月3日は女性が主役、5月5日は男性が主役というイメージがあるが、西条まつりは性別を超えて親しまれていると感じる。またそこには、年齢や世代による垣根もなさそうだ。お祭りを愛する者は性別や年齢を問わない。まさに老若男女が屋台に、神社に集う。
3つの小学校区の交わる場所にある弁天さんは、人々の交流が活発なようだ。隣の地区の方から歩いてきた男の子たちが、まるで自分の地区であるかのように屋台に身を寄せる。今回の遷座祭のお祝いの挨拶に足を運んだ方々に、お社や屋台蔵から「久しぶりやね」と、ぬくもりのある声がかけられる。地図の上では見える地区と地区との境界線は、祭人の心にはないようだ。
3.刻まれた歴史
新しい木々を身にまとって生まれ変わったお社さん。弁天祭実行委員会の皆さんの手で改修された外装だ。「村の鎮守の神さんを後世に残したい」近隣の青年団の方々をはじめ、神さんを想う気持ちで繋がった人々が起ちあがった。「建築の専門的な知識や技術を持ってない人も多いけど、みんなで知恵と労力を絞ったよ!」その対価として報酬が支払われることはないが、改修を終えたみなさんの表情はさわやかで、誇らしげである。その神さんを想う気持ちが形となった今回の屋台の記念運行。屋台が運行していないときの真摯な活動があってこその大祭である。
お社の中の、時の流れで色が移り変わった木の板に刻まれていた、数百年の歴史。恐らく江戸時代から世界大戦の戦火を乗り越えて今に至ったのだろう。神さんのもたらしてくれたご縁で、人と人とが結びつく。困難や逆境の時代にも伝統を絶やさずにきた人々と、いま目の前で伝統を創っている人々が、一本の歴史の糸で繋がって見えた。
4.伝統継承のスタイル
お祝い事には、その地域だけでなく、周囲の地域からも屋台を出して慶びを表す。西条まつりの伝統的なスタイルは、今回の記念行事でも変わることはない。
人口の減少でお祭りを後世に残すことが難しくなってきてはいるが、それを感じさせない地区もある。「自分が頑張った分だけ大きな役割を与えてもらえるのが、西条という町のお祭りの魅力」松山市出身の小塚さんは言う。西条市に引っ越して以来、お祭りというキーワードを軸にして交流を深めたことが実を結び、地区外からの団長さんという、新しい伝統継承のスタイルを実現した。記念運行前日の2日夜、有事の時には避難所の役割も果たすというアットホームな集会所には、遅くまで明かりが灯る。
少子化やコロナの影響で、ひとつの地域単独でのお祭りの運営ができにくくなっている今、地域と地域が手をとりあうことで困難に立ち向かえそうな気がする。太鼓や鉦の音が聞こえると胸が躍る、元気溌剌な西条っ子の声が響く町。その未来に向けての突破口になるかもしれない。「これからは自分たちに続く後輩を育てたい」小塚さんの声には、強い決意が宿る。
5.指折り数える218日後
筆者もお節句の紹介文どおり、日頃の雑事を離れて、人と人との絆を感じながら楽しんで取材をさせていただけた。
この地域では「屋台を片づけた日が冬のはじまり」と言われているようだ。次にお祭りと再会し、祭日の特別な空気を胸いっぱいにすい込めるのは、もう少し先になるのだろうか?
10月7日に嘉母さんから幕開けする西条市のお祭り。218日後の秋の日が、早くも待ち遠しい。
今回取材にご協力いただきました下町中屋台さん・新地屋台さん・下町南屋台さん、ありがとうございました!
弁財天神社・厳島神社
(GoogleMap表記:宮島神社)
愛媛県西条市大町436