菓子職人でなくブランドプランナー。自慢したくなる地域ブランドを
Co-あきない宣言 編集部 2019年11月12日
皆さんは、「パン豆」って知っていますか?「パン豆」とは、地方によって「ポン菓子」、「ドン菓子」、「パットライス」、「米はじき」などと呼ばれる駄菓子で、米を主原料とし、専用の機械で圧力をかけて米を一気に膨らませたものです。サクサクとした軽い食感で、米と砂糖の素朴で優しい甘さが特徴です。
愛媛県東予地方では、昔から「パン豆」と呼び、嫁入り道具と一緒に花嫁に持たせたり、結婚式の引き出物にしたりする風習があります。
そんな地方の郷土菓子が、今、大都市圏のライフスタイルショップや外資系ホテルをはじめ、全国100店舗以上で取り扱われ、香港などの海外にも販路を拡大しています。仕掛け人は、地元企業「ひなのや」の代表 玉井大蔵(たまいだいぞう)さん。玉井さんに「ひなのや」が地域で目指すもの、伝えたいことを伺いました。
#1 「ブランド」への憧れ
愛媛県西条市の山あい、丹原町にある農機具屋の長男として生まれた玉井さん。
高校・大学時代は親元を離れ進学しましたが、特にやりたいことは決まっていませんでした。
「目先のことしか考えていませんでしたね。将来のことなんてほとんど考えずに部活や遊びに夢中でした。」そう当時を振り返ります。
気づけば就職活動の時期。周りの学生と同じように就職サイトに登録して就職活動をしました。面接を受けたのは、名前の通った会社ばかりだったといいます。
学生の頃から「ブランド」への憧れが強かったという玉井さん。「陸上部に所属していた高校時代は、スポーツメーカーなら『アシックスがいい!』とか思っていました。」就職先を選択するうえで重要視していたのも、仕事内容よりもブランド名や知名度でした。
ドラマに出てくるような、かっこいいスーツを着てスマートに仕事をこなすビジネスマン姿に憧れていた玉井さん。この憧れていたライフスタイルは、大手電機メーカーへの就職という形で手に入れました。
ところが一転、入社3年目の春、玉井さんの思いもしない出来事が起きます。
一事業部門の分社化と経営統合により勤める会社の社名が変更。玉井さんが思い描く、企業ブランドに誇りをもって働く自己イメージが一気に崩れた瞬間でした。
仕事内容は変わらなかったのに、今まで自分にとって最も重要だったブランド名を無くしたことによる失望感。「話が違う」と思いました。
#2 Uターンと「パン豆」屋としての出発
社名が変わったことにより仕事に対するモチベーションが下がっていた玉井さん。実家に戻るたび、無意識のうちに父親に会社の愚痴を漏らしていたようです。その姿を見た父親からの言葉は「そんなに嫌なら帰ってきたら?」でした。
いつかは故郷・丹原町に帰って家業を継ぐことを意識していた玉井さんは、思い切って入社5年目にして退職。西条市へのUターンを決意しました。
家業の農機具屋を3年間続けた玉井さんでしたが、そのライフスタイルは、玉井さんの理想とは異なるものでした。
「決まった形の仕事を淡々とこなすのは、自分には向いていないんだと思います。」
全国的に農家が減少し、跡継ぎもなく高齢化が進んでいる今、農機具のみで生計を立てることに不安を感じていた玉井さん。
2009年のこのころ、農業分野では、「花畑牧場の生キャラメル」を中心に、農産物などの豊かな地域資源を活用して新たな付加価値を生み出す「6次産業化」に注目が集まっていました。「この方法なら、農家の収入が上がり、農家の減少を緩やかにできるかもしれない。この美しい田園風景を残す手段になるかもしれない。」そんな期待が膨らみました。
そこで思いついたのが、米の加工品。「米は、農機具屋のお客さんの中にも作っている人が多くなじみが深かった。お客さんから『歳をとって米農家を続けられないから、代わりに米を作ってほしい』といわれたこともあって、米を加工してみようと思ったのがスタートでした。」
米の加工を始めたころは、おむすびやおもちを作って近くの産直市に卸していましたが、売れ残った商品は処分しなければなりませんでした。食品ロスを出さないようにするには何を作れば良いのか。
米の加工を始めるとき、えひめ産業振興財団の地域密着型ビジネス創出事業に応募し採択されていた玉井さん。創業に必要な機材の購入などに対して補助金をもらえるこの事業。これに応募する際、財団のアドバイザーの一言で購入した「パン豆機」が手元にあったのを思い出しました。これをやってみよう。
「パン豆」も、おむすびやおもちと同様、当初は販路をもっていなかったため、産直市に卸しました。一般的な砂糖を絡めたもののほか、「ポップコーンにも色んな味があるんだから、『パン豆』にも色んな味があっていいんじゃない?」という奥さんのアイディアで、キャラメル味も作りました。これが意外と売れたのです。
売れ残りをすぐに処分しなくても良い。「これはイケる。『パン豆』一本でやっていこう。」そう決心しました。
#3 都会とつながり続けたい。
一方で、「パン豆」を始めて間もない2010年ころは、都会への未練や地元の環境への物足りなさを感じていた玉井さん。都会に対する劣等感もありました。でも帰ってきたからにはこの場所で納得のいく仕事をしなければ。そんな葛藤を続けていました。なんとか「パン豆」で都会とつながる方法はないか。
「自分で考えて、自分で動かないといけないと思い始めたのは、『パン豆』を始めてから。」玉井さんはそう話します。
当初「パン豆」は、既製品の袋に詰めて売っていました。でも既製品の袋だと、都会では売れない。
「パン豆」をどんな「ブランド」にしたいのか。お客さんにどんなイメージを持ってもらいたいのか。そう考えたとき、よく読んでいたライフスタイルマガジンに掲載してもらえるような、クオリティの高い目を引く商品にしたいと思ったそうです。それが「パン豆」のブランドイメージの軸になりました。
そうは言うものの、いきなり都会への販路はありません。転機は、地元の特産品を紹介・販売する「西条市食の創造館」への卸売でした。ここにたまたま立ち寄った、お隣の県、香川県高松市にある人気雑貨屋のバイヤー。「パン豆」を気に入り、雑貨屋に並べてもらえることになりました。
「このころ香川県では、瀬戸内海の島々を舞台にしたアートフェスティバル『瀬戸内国際芸術祭』が初めて開催された年で、国内外からの観光客にとどまらず、都市部に店舗を持つ有名なショップのバイヤーたちも高松の地に集まりました。『パン豆』が置かれた雑貨屋にも多くの人が立ち寄り、うちの商品を見つけてくれた。運が良かったんです。」
こうして「パン豆」は都会へと羽ばたいていきました。
#4 「ひなのや」という地域ブランドの確立
「ひなのや」の由来は、田舎を表す「ひなび」。都会を表す「みやび」に対する言葉で、「ひなび」た美しい田園風景や豊かさなどを伝えられる店にしたいと、「ひなび」から「ひな」を取って「ひなのや」にしました。
「ひなのや」が目指すべきものは何なのか。その答えは「シビックプライド」でした。
「『シビックプライド』は、『郷土愛』とは少し違った概念で、自分自身が地域づくりに参画する、地域を構成する一員として関わっていくということだと解釈しています。」玉井さんはそう話します。
「シビックプライド」と出会ったことで、気づいたことがありました。それは、「ひなのや」が地域にとってどういった役割を果たすべきか。モノを売るだけがお店ではないということ。
「僕はきっと創業当時から菓子職人ではなかったんです。例えば、パティシエなら今あるケーキをより美味しく作り上げることを突き詰めていくと思うのですが、『ひなのや』の土俵はそこじゃない。どれだけ地域の雰囲気や良さを商品に乗せられるか。『パン豆』があることで、地域と外のまちの交流人口をどれだけ増やせるか。それこそが僕のライフワークだと確信しました。」
好きな「ブランド」の本社があるまちを想像してみてください。行ったことがなくても、素敵なまちに違いない。そう思いませんか?
同じように、「西条、愛媛、四国に行ったことはないけれど、『ひなのや』があるまちはきっといいまちだ。そう感じてもらえるお店にしたい。」凛とした眼差しで語ってくれました。
商品づくり、ブランドづくりは、地域の一員として地域と関わっていくこと。そう思うようになってから、地域の素材を取り入れていくようになりました。西条の田園風景や里山風景は、パッケージや包装紙、フレーバーなどの重要な要素になっています。
「ひなのや」が大切にしているもの。それは地域の人たちや「パン豆」を買ってくれた人に「ひなのや」というブランドを好きになってもらうこと。自分の住んでいるまちにはこんなに素敵なお店があって、それがまちの自慢になることだといいます。
こんなエピソードを聞かせてくれました。
「100歳近くのお母さんを亡くされた70歳近い息子さんが、お葬式の前に『パン豆』を買いに来てくれました。お母さんの棺桶に入れたいというんです。老衰して食事もままならないお母さんが、うちの『パン豆』を食べたいといいながら亡くなったそうです。『ひなのや』を最期の最期まで好きでいてくれたことが本当にうれしかった。」
#5 これから創業する若者たちへ。
このほど西条市に着任した、起業型地域おこし協力隊「Next Commons Lab西条」が立ち上げるプロジェクトのアドバイザーとしても活躍する玉井さん。これから創業する若者にアドバイスはありますか?と尋ねたところ、こんな答えが返ってきました。
「お店を続けられる体制づくりが必要ですね。」
「ひなのや」の目標は、まちの自慢として定着するために、100年続くお店にすること。100年続けるためには、自分がいなくなった後もお店を守り続けなければならないということです。
「組織に属していると、自分が抜けても社員全員の力でカバーしあいながら業務を進めることができます。でも、個人での創業は自分たった一人のことが多い。一番重要なのは、自分がいなくても会社が回って、安定したサービスを発揮し続けられる体制づくりなんです。」
都会に対するコンプレックスがあったという玉井さん。
「でも、そんなに気負う必要はないんです。だって、『パン豆』でも都会の一等地に置いてもらえるんだから。」
それでもまだまだ道半ばという玉井さん。
「地域内外からのお客様の受け皿として滞在できる販売拠点を整備したい。」そう話す玉井さんの瞳には、「ひなのや」を中心に地域や「ひなのや」が好きな人が集まり、さらに好きな人が増える。そんな、「ひなのや」が理想とするちょっと未来の姿が、はっきりと映し出されているようです。
#6 パン豆の「ひなのや」
愛媛県東予地方で結婚式の引き出物として重宝される「パン豆」。この土地特有の文化とともに、西条ののどかな風景と当たり前の価値を「パン豆」をとおして伝えていきます。
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