四国の特異点 山荘しらさ 標高1,400mの暮らし(3)
フロリダ 2021年1月12日
このほど日本三百名山および四国百名山の一つに数えられる瓶ヶ森(1,897m)の登山道入り口近くの「山荘しらさ」を長年営んでいた小森隆一さんの講演会が、愛媛県西条市・西条史談会の主催で行われた。
今回その講演会のレポートを3回に渡ってお届けし、四国の山のてっぺん暮らしを紹介してきた が、いよいよ最終回である。
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養老孟司氏現る
山荘しらさには個性的な面々が訪れていた。生物の研究者、マニアとの出会いも数多くあるが、その中でもとりわけ熱量が高く感じられたのが、漫画家・手塚治虫のペンネームの由来にもなっている飛べない甲虫「オサムシ」のマニアである。
飛ぶことができないオサムシは、移動範囲が限られるため狭い範囲で独自進化をしていて、現在でも新種の発見の可能性が高い。それがマニアを虜にする理由の一つと思われる。太古の時代、本州と四国は陸地続きで、瀬戸内海に水が流れ込んで四国ができたと言われる。その結果、飛べないオサムシが島で孤立して独自に進化したのだ。さながらガラパゴス島のようで、ダーウィンやウォーレスの時代に思いを馳せることが出来る身近な夢見の存在、それがオサムシである。
ある年の4月。小屋を開けると、雪の残る、下界の真冬並みの寒さの中、クマザサの原っぱで虫網を振る一人の白髪の老人。よく見るとあの医学博士・養老孟司氏(著作に「バカの壁」など多数。)だ。
「こんな寒い中何してるんですか?」と小森さんが声をかけると、「虫がいないのを確かめてるんだよ・・。やっぱりいない!」との答え。小森さんは、虫が「いない」のを確かめるとは、さすがバカの壁の向こうにいる方だ・・と感じたそう。
養老氏は幼少期から四国の吉野川が90度曲がっていることが不思議でしょうがなかった。その理由が、分布するオサムシの生態を調べることで判明するのだ。
吉野川が瓶ヶ森を源流として東に流れ、高知県大豊町で北に向かい、そこから再度東に流れるのは、断層の活動によるものと推測され、オサムシの生態域が川の両岸で分断されているのだという。
世界に誇れる四国の山
「世界中の山を巡ってるが、四国の山の新緑の美しさは世界一だ。」と養老さんは小森さんに言う。これは小森さんに対するリップサービスではなく、週刊誌のコラムにも書いていたほどだが、氏によると、四国山地は急峻かつ土壌の多様性から木々の種類の多様性が生まれ、それぞれの種で芽吹きのスピードや緑の色が様々なのだと言う。
また紅葉についても、十分世界に誇れるものがある。かつて山荘しらさを訪れた多くの外国人、特に国旗に大きなメイプルが描かれ、雄大な原生林が果てしなく続くイメージのあるカナダの人でさえも、その彩りの美しさを褒めるほどである。
いかがだろうか。標高1,400mの暮らしは四国の中でも最も特異な経験であるだろうし、また特異な場所だからこそ、山荘しらさには多くの特異な人が訪れ、結果小森さんに多くの気づきを与えてくれた。小森さんの話を通じて改めて四国の山の持つ魅力、世界に誇れる自然環境であることを胸に刻みたい。
私たちは、やはり身近なものの魅力に気づきにくいのかも知れない。しかし外部の、いわゆるヨソの人ほどそれに気づき教えてくれるのだ。一般に、組織や地域の活性にはヨソモノ、バカモノ、ワカモノの視点が必要と言われる。少々強引かつ語弊を承知で言えば、四国のてっぺんでの暮らしには、その視点や気づきに溢れていたのではないだろうか。山荘しらさでは高知大学生のインターンシップ生の受け入れを行い、多くの若者が小森さんの元から巣立っていったこともここで付け加えておきたい。
講演会ではこの他「四国の道」をテーマに「忘れられた日本人」(宮本常一著)や「寺川講談」(春木次郎八繁則著)「石鎚山に抱かれて」(一色龍太郎著)などの書から得られた知見を元に、遍路道だけではない様々な「四国の道」が紹介された。特に寺川集落は山荘しらさの最寄りの集落であり、「寺川講談」はこの土地の当時の暮らしが記されている1冊である。この辺りの話に興味のある方は、是非小森さんを訪ねてみて欲しい。
取材協力・西条史談会 Dining and Sake HAZUKI