なぜ!?西条市 市之川(Ichinokawa)は世界で有名?
どろーんぱ 2024年7月4日
市之川といえば西条市民、愛媛県民よりも、世界で名が通る有名地だという話があります。
なんで市之川ってそんなに世界で有名なのだろう?と興味を持ち、少し調べてみようと思いました。
市之川のほば中心にある市之川公民館は、愛媛県西条市を流れる加茂川の武丈公園から4kmほど南東の位置の山間部(海抜160m)にあります。
ここには江戸時代初期から鉱物が産出される鉱山があります。
そこで産出される鉱物は『輝安鉱(キアンコウ)』です。
輝安鉱は、硫化アンチモンとも呼び、アンチモンの鉱物名です。
輝安鉱は、ICチップやバッテリー、マッチや花火、銃の雷管などに使用され、古代エジプトではアイシャドーとしても使われていたと言われています。
また、結晶の美しさは観賞用としても非常に価値があり、鉱物ファンの間では高値で取引されたりしているようです。
・発見のきっかけ
その鉱山は江戸時代初期(1679年)庄屋の曽我部親信が、道路の修復工事中に偶然鉱脈が発見されたそうです。
それから開発されていきました。
・どうしてそんなに世界で有名になった?
世界で有名になったのは、明治10年(1877年)東京上野で開かれた、「第1️回内国勧業博覧会」への出品がきっかけなんだとか。
その後、明治11年(1878年)パリ万博、明治26年(1893年)シカゴ万博にも出品。
このようなことから、市之川(Ichinokawa)の輝安鉱は世界で称賛されるようになり、ほとんどが海外に流出しました。
また、明治時代に精錬の技術も進んだことで価格が高騰し、産出量も増えたそうです。
明治18年3月には、「大生院村弘育小学校分校(後の西条市立市之川小学校)」が開校されました。
しかし、昭和になると輝安鉱の産出量も減り、休鉱を繰り返すように。
採算上の問題もあり、昭和32年に市之川鉱山は閉山されました。
その後、徐々に市之川地区の人口も減少し、昭和55年3月をもって市之川小学校は閉校されました。
その校舎が、現在の市之川公民館です。教室だったところにたくさんの輝安鉱や鉱物が展示されています。
今回の調査では、矢野館長にもご協力いただきました。
どろーんぱ:「こちらの公民館にはどんな方、またはどちらからいらっしゃっていますか?」
矢野館長:「石に興味がある人や鉱物のマニアの方もいらっしゃいます。市外、県外からはもちろん、海外からも来られることがあります。大学で鉱物を研究されている方や、専門家の方も来られ、とても刺激になっています。」
また、西条高校の商業科輝安KOU房や科学部も定期的に訪れ、市之川鉱山を学び、輝安鉱の周知活動等を行っています。
全国から注目⁉西条にある世界一 西条高校 輝安KOU房大活躍!
さいごに・・
市之川は市民にとって身近な所ですが、こんな歴史があったことは知りませんでした。
私が大町小学校に通っていた頃、市之川小学校から、転校してくる子供がいました。また、中学生になると市之川小学校卒業生の方々と学び、或いは、自宅に訪問するなど交流を深めていった記憶があります。
それには、このような背景があったことを改めて実感しました。
興味のある方は、ぜひ市之川公民館に足を運んでみてください。ノスタルジックな別世界に感動することでしょう。
市之川公民館の上空150mから(ドローン空撮)は、瀬戸内海、西条市内ひうちの辺りが見えました。